窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

無関心がもたらすものは絶望

報道ステーションを見ていたら、千葉停電への政府対応が遅れたとコメンテーターが批判していた。

 

「あなたたちも千葉停電に無関心だったよね」と突っ込まずにはいられなかった。

 

翌日、「ひるおび」で、被災者が「まさか自分たちが台風の被害に遭うなんて。他所の被害をテレビでは見ていたけれど・・・」などと言っていた。

 

他人事だった台風被害に遭ってしまったという意味?と受け取り、少し不快になった。

 

私は九州に住んでるから、毎年、台風の被害がないと良いなと願っている。被害が出たというニュースを見ると、とても気の毒に思う。

 

「ひるおび」のインタビューに応えていた人の言葉を聞いて不快になったのは、私らが被害に苦しんでいても、その人にとっては自分に関係のない遠いことだったと分かったから。

 

ふと、ひとつの記憶が甦った。ネットの掲示板で親しくなった人にメールしたときの記憶だ。

 

水害で怖い思いをしていると書いたが、返信はそっけなく、「それがどうしたの?」というものだった。

 

多分、親しくなったとの私の思いは一方通行で、相手からは関心を持たれていなかったのかもしれない。

 

寂しい記憶だなあ。

 

 

そうなんだ。災害で怖い思いでいるときに関心を持たれてないと感じると絶望を感じるんだ。

 

だから、災害が起きたときテレビやラジオでその災害についてのニュースを流して、

 

被災者に「みんなが関心を持っていますよ」とメッセージを伝えてほしいんだ。

 

無関心は悪意より辛いかもしれん。

 

心のつながりがないのが無関心。

 

 

千葉停電での報道が少なかったのは、被災者たちに絶望をもたらしたかもしれないという問題になると思う。