窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

まるで自分を消したような嫌な気分

数日前、ユーチューブのアカウントを削除した。

 

ユーチューブにアカウントを持っていると、動画を評価することができ、

 

意見や感想を書くこともできる。

 

動画を載せた人と意見交換もできる。

 

私はコリアンボーイTVというチャンネルを応援したいと思うようになり、アカウントを取得した。

 

ただ視聴するだけでなく、参加したいと思ったから・・・。

 

けれども、評価したりコメントをつけたりしているうちに、「思っていたのと違う」「なんだか腹が立つ」というようなモヤモヤした気持ちが大きくなった。

 

私は、美醜で差別しない人が好きだが、コリアンボーイTVを見て、韓国の人は美醜で人の優劣をつけたり、接客の態度に表したりするのは珍しくないと分かり、モヤモヤ感が大きくなった。

 

美醜による差別があるから差別されないように気をつけるという内容を、「韓国ではそうなんだね」というように受け入れられず、無性に腹が立った。

 

腹が立つのには理由がある。

 

学生の頃、必須科目を受講するのにレオタードが必要だった。先生から指定されたデパートで指定されたメーカーのものを買った。レオタード・タイツ・シューズのどれもが高かった。

 

友人たちと一緒に買いに行き、わいわいと楽しく買い物をしたはずだったが、財布には痛みを感じた。

 

それがデパートとの出会いだった。

 

買い物をするとき、いろいろと店をまわり、デパートへも行くようになったが、年をとった今、高かったレオタード等を思い出して、嫌な気持ちになる。

 

レオタードを着る必要があったのか?

 

先生の当たり前が理解できなかったし、今も理解できない。

 

11月ごろだったか、「せいもん払い」「大せいもん」と呼ばれる大売出しに出かけるのは好きだった。

 

そこで、安いが「良い感じだな」と思うセーターがあったが、お金がなくて買えなかった。

 

音楽の楽典の講義は、非常勤の女性の先生が担当してたんだけど、私が「良い感じだな」と思ったセーターを着てきたことがあった。

 

学生たちから、「なんだかみすぼらしいね」という囁きが聞こえた。

 

なぜだろう、音楽の先生たちはキラキラした服装だった。

 

楽典の先生だけ、質素だった。

 

高そうな服を着ていたら良い評価をされ、質素な服装だったら「みすぼらしい」とマイナス評価される様子を見て、とても嫌な気分になったのを今でも思い出す。

 

当時の私は、「みすぼらしい」と言われたセーターでさえ買えなかったから、とても嫌な気分になった。

 

服装を見て笑うのって、嫌だなあ・・とも思う。

 

服装だけでなく、見た目を笑うのって、意地悪だと思う。

 

反対に、「ボロは着てても心の錦」という言葉が好きだ。

 

小説「壬生義士伝」の主人公が、家族に仕送りするために自分は粗末な着物を着ていたというのも好きだ。

 

まあ、とにかく、質素な人や地味な人が笑われる様子を想像するのが嫌だ。

 

自分で自分を笑えない。私は質素な人が好きだ。

 

キラキラしていて、美容整形にも意欲的だという人は好きじゃないし、見た目差別する人も嫌だ。

 

世の中、そういうものだ。見た目が大事だと言われているようだが、受け入れがたい。

 

今は、デパートへは必要最小限しか行かない。

 

もっと手頃な店へ行く。

 

 

で、ユーチューブのアカウントを削除して、動画の評価や意見交流ができなくなって、

 

寂しいなあと思うが、嫌なことから離れられたという安心感はある。

 

 

多分、コリアンボーイTVに集う人たちと自分は大事にしていることが違うだろう。

 

集っている人たちは、韓国での美醜による差別を聞き流せて、私は自分の劣等感を刺激され腹が立ってしまう。

 

学生の頃の経済的な苦しさを生々しく思い出してしまうのも辛い。

 

勉強で手一杯で、バイトできなかったからなあ・・・。

 

 

ユーチューブのアカウントを消すとき、「普通から外れている自分だ」と

感じて、辛くなったのかもしれんなあ。スーパーチャットという寄付行為をしたり、オフ会に参加したりするのが「普通」の参加者である・・・みたいな雰囲気で、

「そんなにお金を使えないよ」と抵抗を感じていただけでなく、「劣っている」とさえ思ってしまったんだなあ・・・。

 

気持ちを落ち着かせて、自分を取り戻そう。

 

お金を使わずに楽しみたい。

 

みすぼらしいかもしれんけど、それが私。