窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

殺された引きこもりの息子に同情しているのは変かな?

元農水次官が息子を刺殺した事件で、懲役8年が求刑され、

 

妻は減刑を求め、弁護士は執行猶予を求めているというニュースを見て、

 

夫と少し話した。

 

「世間の人は、殺した方に同情するのかな?」

 

と私が言うと、

 

「そうなんじゃない?」

 

と夫は言った。

 

「なぜ?」

 

「被害者でもあるから」

 

 

短いやり取りだった。

 

もうちょっと話したかったが、夫との考えの違いを知るだけになると思ったので切り上げた。

 

執行猶予がつくならば、懲役8年からさらに減刑され、懲役3年とか5年になるんだろう。

 

懲役3年とか5年は、麻薬や飲酒運転と同じくらいの重さだ。

 

殺人の罪の重さと釣り合わない軽い刑になるのだろうか?

 

情状酌量は、「この人の犯した殺人は、殺人ではない」ということかな。

 

いやいや、何を言ってる?意味不明になる。

 

「罪を犯した人に同情して刑を軽くすること」だ。

 

 

世間の人たちは、息子殺しという罪を犯した元農水次官に同情して、

 

刑を軽くしてやってほしいと思っているんじゃないか・・・ということ。

 

その「世間の人たち」に私は含まれていないみたい。

 

私は懲役8年で良いのではないかと思っている。

 

なぜそう思うかというと、日本に元農水次官と同じ悩みを抱える人が大勢いると思うから。

 

「この子さえいなければ・・・」「死ねばいいのに」と子どもを憎む親はたくさんいると思う。

 

また、親が死んだらこの子は生きていけないだろうと思いつめ、親子共々死のうとする人たちもいる。

 

どちらも、子どもの命を奪いたい・奪うというところは同じだ。

 

「子ども」という言葉から、先々の未来ある子どもをイメージする。

 

「子ども」を殺すなんて、なんて酷いことだと世の人は思い、子どもを殺した親に同情はしないだろう。

 

けれども、親が高齢で、「子ども」はもはや明るい未来のある子どもではなく「やかいで邪悪な人物」であったら、殺したのはしょうがないと思うんだろうなあ。

 

私はなぜか、殺された引きこもりの息子に感情移入している。

 

「こいつさえ死ねば・・・」と死ねばいい認定されて殺されてしまった息子に

 

挽回するチャンスが与えられなかったことが残念だ。

 

 

私は人を殺したことがないから、想像するしかないんだけど、

 

40代の息子を死なせるのは簡単じゃないと思う。

 

元農水次官は、胸や首といった急所を刺したはずだ。

 

とっさに出来ることじゃないと思う。

 

何度も繰り返し、頭の中でイメージしただろう。

 

やられそうになったら、このように行動しようと決心していただろう。

 

だから殺せたんだ。

 

 

そう思うから、情状酌量して執行猶予するという弁護士の言い分に

 

違和感がある。

 

あれは、正当防衛じゃないでしょ。

 

やられると思ってとっさに刺したのであれば、首は刺さないだろう。