風呂のガス釜が壊れてしまい、
この一週間、まともに入浴できなかった。
台所からお湯をバケツで運んでお風呂の準備をしたから、
お湯に入れるだけで幸せだと思った。
入浴できて当たり前だったのが、「故障」という不便さを味わって「幸福なこと」と思ったのだった。
ガス会社が機材の会社からガス釜を取り寄せるのに数日かかった。
修理のたびに機材や部品を取り寄せるようだ。
ミニマリストみたいだ。
余分な在庫を持たず、必要なときにその都度仕入れるのだから・・・。
自力での修理は無理だから、待つしかなかった。
まともに入浴できない一週間を経験して、
風呂は生活に欠かせないと実感した。
水浴びで済ませるなんて無理だし、
タオルで体を拭いても体がキレイになった気がしない。
ぬるい湯でもいいから湯に入りたいという欲はなくならない。
ふと思った。
禁欲的な生活をしているお坊さんもお風呂を楽しんでいるのだろうか?
仏教について、「入浴禁止」という話はあるのかなぁ?
入浴が禁止される修行があるとしたら、
修行僧はプンと臭っていただろう。
お坊さんが主人公のドラマがあるなら、入浴が禁止されてるかどうかを気にしてみたい。
キリスト教の修行ではどうなんだろう?
まあ、とにかく、風呂が壊れていた一週間は辛かった。
一週間で修理が完了して良かった。
あと数日かかるとしたら、
我慢できずに苦手な温泉へ行っただろう。
せっかく近くに温泉があるのに、
私は一度も行ったことがない。
たくさんの人と一緒に入浴するのは苦手だ。
私に苦行を強いるなら、「温泉や銭湯へ行け」と命じれば良い。
他人と裸の付き合いをする自分が想像できない。
風呂には一人で入りたい。
ああ、やっと自宅でそれが簡単にできる。
バケツでお湯を運ぶのは大変だったよ。