食器洗いをしていて、
ふと、「チクロ」という言葉が思い浮かんだ。
チクロ・・・なんだったかな?
意味が分からなく言葉だが、私の頭の中にある言葉だから意味が知りたくて
検索した。
チクロとは、1956年から使われ始めた人工甘味料。
砂糖の40倍の甘さ。砂糖に良く似た風味で後味が良く、
菓子や清涼飲料によく使われていた。
1968年、発がん性があると言われて使用禁止になった。
このような説明を読んで、うっすらと思い出した。
チクロが入ってる食べ物は体に悪いという話を誰からか聞いた私は
友達とチクロという単語を入れて会話したことがあったかな・・・
人工甘味料は体に悪いと強く思ったかな・・・。
チクロについての説明を読んで、意外にもチクロは、現在は発がん性はないと評価されていて、ヨーロッパで使用されているという。
悪者扱いされて使用禁止になったチクロは、本当は悪者じゃなかったのだ。
多くの菓子や清涼飲料に使われたくらいに味が良く、砂糖より安いものだった。
砂糖を使ったものと同じように美味しく、しかも安価に作ることができた。
チクロは高い菓子が買えない人のお財布に優しかったんだな。
チクロが再評価され使用されていると知り、なぜか心が軽くなった。
それはなぜだろう。
チクロと私は無関係なのに、なぜ心が軽くなった?
もしかして、チクロと自分を重ねて説明を読んだかな・・・。
私は長い間、「自分は偽物だ」というコンプレックスを抱いていた。
学校で頑張っていても、家に帰ると全く良い評価が得られなかった。
家での手伝いを褒めてくれたのは祖母だった。
母親からは、思いやりのない子と言われていた。
どんなに頑張っても、自分をよく知っているはずの母親から良い評価が得られない自分は、本当は「悪いもの」ではないか・・・頑張っている自分は「偽物」ではないか・・・という考えが固定化していった。
「本当の自分」というものは、まぼろしみたいにあやふやで、
自分で自分のことが分からなかった。
日々、「悪い」「思いやりがない」と言われていれば、
言われている言葉を信じてしまい、
自分の努力や頑張りが空しいものになる。
頑張っても本物になれない「偽物」なんだと思ってしまう。
家庭に温かみや癒しが足りなかったから、こんなコンプレックスを抱くようになったんだと思う。
頑張っても褒められなかったのは、親が無関心だったからかもしれんなぁ。
もしかして、親って、子どもの心に穴を開ける存在なのかな・・・。
心に穴が開いた子どもは、成長する過程で、
自分で穴の手当てをするのだなあ。
穴が大き過ぎたら、大人になる前に死んでしまうかもしれんけど、
ある程度の大人になれば、どうにか手当できるだろう。
「自分は偽物だ」というコンプレックスは、
今では過去のものになってる。
頑張れば、手ごたえは自分で分かるのだから、自分で自分を褒めれば良いのだ。