数年前から高齢の親が亡くなって衰弱死するひきこもりの人がいると知っていたが、
救われない理由は知らなかった。
Nスぺのひきこもり特集を見て、命が救われない理由が分かった。
長年ひきこもっている男性は支援員の訪問を受けていた。
支援員は「このままじゃ死んじゃうよ」と声をかけるが、
支援につながらず数日後に男性は衰弱死した。
別の自治体でも支援員がひきこもっている人を訪問している。生きているかどうかを臭いで確認し、手紙を玄関ドアに挟んだ。
この人に関わっている職員が集まって話しあう様子があった。
その中で気になることがあった。
ひきこもっている本人が助けを求めないと自治体は手を差し伸べることができないという。
本人の承諾なしに家に入れるのは警察だけだそうだ。
なので、警察がはいらなくてはならない事態にならないと、救われずに衰弱死してしまう場合が多い。
家で亡くなった親を放置していたひきこもり男性は、警察が関わり命を救われた。
死体遺棄という事件として報じられるが、事件化したからひきこもっている人の命が助かった。
命が救われるのは、警察が関わる事件になった場合と本人が助けを求めた場合なんだ。
助けを求めないと、衰弱していると分かっているのに助けられない。
困っている人がいると分かっていても、本人が助けを受けようとしないとお金も食べ物もなくなって餓死してしまう。
支援する仕組みはあるのに、本人が拒否して自殺してしまう場合もある。
特集を見て、社会に役立つ人しか生きてはならないという呪いがあるのだなと思った。
今、生産性を高めるよう求められているし、変化に適応することも求められている。
病気やケガ、挫折感で働けなくなったら家の外でも内でも居場所を失い、自分で自分を消したくなるような気持ちにもなり、生きていたいという生き物の本能までも損なわれてしまう。
すると、「助けて欲しい」と言えなくなり、支援者がいるのに助けてもらえなくなる。
目の前に困っている人がいても、本人が助けを求めていないという理由で支援しないという奇妙な仕組みになっている。
川や海、山で遭難した人は、「助けて欲しい」と言わななくても救助されるが、ひきこもりの場合、「助けて欲しい」と言わないと助けてもらえない。
衰弱死すると分かっているのに・・・。
年に70人くらいが「ひきこもり」のまま衰弱死しているそうだ。
Nスぺの内容は、支援者の言い訳のような気がした。
ひきこもり支援は、居場所提供より就労支援の意味合いが強いと思う。
長年引きこもっていて、いきなり働く方向へと持って行かれたら、
「自分には無理です」と支援を受けない方向へと行ってしまうと思う。
支援の受け手が受け取れない支援を持ちかけて、結果としてひきこもりの人を支援から遠ざけ、
ひきこもりの人が衰弱死したら、「本人が支援を拒否し続け助けられなかった」と言い訳しているんじゃないかな・・・。