4時間くらい眠ったかな。
調子はあまり良くない。気分が沈んでいる。
それでも気になる。Aさんの元夫の電話番号のこと。
なぜAさんの電話番号として載せられてしまったんだろう?
そのことを知っているのは、間違って電話をかけてしまったという人、Aさん、管理人さん、夫と私。
他には伝えられていないらしい。
誰が間違い電話をかけてしまったかは分からない。
思い返すと、Aさんは6年ほど前に団地に引っ越してきた。その時、Aさんの夫だった人も一緒だった。
そして、数日後、また引っ越しのトラックが来た。荷物を積んで行った。
おぼろげな記憶だが、仕事の都合で別居することになったと聞いた。
とにかく、引っ越しのトラックが荷物を運んできた後に、再びトラックがきて荷物を持って行った。
Aさんに初めて会ったのは、それから数ヶ月経ってから。
夫は自治会長と管理人を兼務していたので、細々とした用件で団地の住人と会ったり、訪問を受けたりした。
用件の内容を思い出せないが、団地の住人の一人が夫に渡すものがあるが、時間が合わないというので代わりに友人としてAさんが来られた。
平日の昼間だったと思う。家にいた私がAさんから受け取った。
引っ越してきて、もう団地に友達がいるのだなと思ったのを覚えている。
去年、夫が自治会長をしたとき、数回懇親会をした。Aさんは自治会の役員ではなかったが、参加を希望して複数回、参加した。
私も2回参加し、少しAさんと会話した。それでAさんの実家は市内だと分かり、地元の人なのだと分かった。
私のように他の地域から転入した人は少ないのだと思った。
多くの住人が、筑紫野市・太宰府市・大野城市などの旧筑紫郡地域に住んでいたようだ。
夫は筑紫野市に長く住んでいたから、地元ネタの雑談で盛り上がることができた。
言葉も、「○○しよんしゃー」など、博多弁に近い感じ。
私には分からない内容も多かった。
地元が同じというだけで通じ合えるものがあるようだ。
懇親会で入れない話が多かったから、私は聞き役にまわった。
私は団地の住人とのかかわりに疲れを感じたので、懇親会などに参加しなくなった。
ただ、無関心ではない。
Aさんの電話番号についてのもめ事に、一切かかわるなと、夫から禁止された。
疑問も持つなと言われたし、団地のことには関係するなとも言われた。
どういう関係なら良いのだろう?挨拶くらいは良いだろうか?
透明人間みたいに気配を消して暮らしていけばよいのかな。
夫にも蔑まれているみたいだから、家でも気配を消したほうがよいかな。
笑ったりしたらダメだろう。
誰も不快にさせないように、存在を消さなくてはと思う。
存在しないかのように暮らす。
死んでいるかのように暮らす。
目立つことはしないし、住人と交流しない。
ただ、毎日ピアノを練習して月に2回レッスンに通う。
そうだな、ピアノは楽しもう。
人との会話はどうしよう。
誰と雑談したらよいかな?
夫との雑談が数少ない社会に向けられた窓だった。
私はその窓から外の世界を眺めていた。でも、それも過去のことになるのかな?
ぁぁ、そうだ、息子や娘の自立を見届けたいという望みがある。
あまり当てにならない私だけど、いないより良いだろう。子どもにとって。
なにも望みがないわけではない。希望はある。
ただ、笑うのは止めよう。
自分には許されない気がする。
人との交流を楽しむなんてもっての他だろう。
ぁぁ、そうだ、密かに野良猫を見に行こう。
野良猫は私を悪人とは思わないだろう。
生きているだけで迷惑だ、目障りだと言われるようになったら、その時、人に迷惑をかけないような死にかたをしよう。
脂肪肝を放置して、慢性肝炎になり肝硬変、肝がんという悪化をたどって死ぬのがよいと思う。
いつまでも元気でいたいという望みがあったが捨てよう。
治療を止めるという、人生破壊をしよう。
積極的な自殺は現実的には難しい。
でも、こんな死に方があると具体的に思い描いて実行できそうだから、やってみよう。
簡単なことだ。定期的な通院を止めたらいい。検査を受けない。受けたふりをする。
緩やかな自殺だ。今まで、どうして思いつかなかったんだろう?
積極的に生きようと頑張っていたからかな?
頑張っていないようで、頑張っていたんだなあ。
家に居場所がないと思ったら実行すればいい。
実行したとしても、多分、誰にも気づかれない。
ガンが見つかっても治療しないというやり方だっていい。
誰にも気づかれないし、迷惑もかけない。
検診の結果を隠せばいい。
ぁぁ、なんだか安心した。
死にたい気分をかかえて生きるんだと、思い続けて努力してきたけど、死ぬのだと決めたら肩の荷が降りたみたいだ。
今、トクトクと鼓動を感じ、頬の紅潮を感じる。
なんだか、直ぐにでも実行したくなった。
脂肪肝での通院を止めよう。病院って、行かなくても呼び出されない。
今日、決心したことを忘れないようにしよう。
要らぬ決心と言われるかもしれないけど、迷惑をかけない自殺なんてないという思い込みから解放されて、うれしささえ感じる。
緩やかに死に近づき、少しずつ身辺整理をしよう。
積極的に死ぬための準備をするんだ。
元気に動けるうちに、子どもたちにできるだけのことをしよう。
横浜まで行くとか、娘が探している仕事を一緒に探すとか、探せばやることはいっぱいあるだろう。
90歳を越えた人が、1日1日が勝負だと言っていた。
慢性肝炎から肝硬変になるのに10年くらいと聞く。ならば、私の場合、調子良く動けるのは、あと10年くらいかな。
アクシデントがあれば、もつと短いかな。
60代で何ができるか考えよう。
その先はないものとして。
とにかく、決めた。
後悔しないよう、数年を生きよう。