やっと義父が事務所兼住居から団地に移ってくれた。まだ多くの荷物を運ぶ必要がある。
夕食は私が作ったものを使い捨て容器に入れて夫が届けている。今のところ残さず食べてくれている。
もう他に借金はないかと夫は義父に尋ね、ないと言うので信じていたが、新たに80万円ほどの借金が発覚した。弟名義の借金が50数万円、義父名義が20数万円。
弟は何も知らないので、弟名義の借金を私らが立て替え払いしてきたが、もうこれ以上は無理と判断した。
家を売って返済するので待って欲しいとお願いした。厳しいことは言われず、月に一度売却の進捗状況を報告して欲しいと言われた。
で、家は売れるのか?夫が県の役所に相談してきて、やっと家を売る見込みがあると分かってきた。
事務所兼住居は開発が制限されている区域内にある。新しく建築することができない地域だ。が、今建っている家がその地域に線引きされる前に建てられたと分かれば新たに家を建てられる。
役所の方のアドバイスを受けてその証拠集めをした。線引き前に建設の申請をしていたら良かったのだけど、昔は手続きがいい加減だったのか申請されていなかった。国土地理院の航空写真でも分からず、決め手がなかった。役所の方が会議にかけてくれたが線引き前の建物と認定されるには至らなかった。
役所の方のアドバイスで、家に固定資産税がかかり始めた時を調べた。それが出来ない場合は古い自治会名簿を自治会長に見せてもらうと良いと言われた。
市役所の税務課で確かめることができた。市が建設に制限をかけたのは昭和45年12月28日。固定資産税が発生したのは昭和46年1月。なので、建設は線引き前に始まったと推定できる。線引き前にあった家は取り壊して建て直すことができる。ただし、土地を分けて2件建てると開発行為になるので、1件しか家は建てられない。
でもまあ、これで売ることができそう。
2つの不動産会社に売却を頼んだ。6カ月を目処に売却する予定で、それでも売れなければ土地の値段を下げる予定。
売れなかったらどうなるのかという不安がなくなった。少し安心した。
借金をした義父は、なぜか土地の売却や借金返済に関心がなく、他人事のように振る舞っているそうだ。
今どうなっているかと尋ねることもなく、夫がしていることにも関心がない様子。なので、労いもない。
事業をする技量のない人が事業をした結果こうなってしまったと夫は言う。もっと俺が関わっていたら・・・とも言う。でも、夫を無能扱いしてきた義父が夫の意見を聞き入れたとは思えない。意見すれば喧嘩になっただけだろう。
借金があると分かっても関わるなと言われていたわけで、義父が夫に助けを求めたのではない。
義父がホームレスにならないよう団地の滞納を解消したのも、義父に頼まれたのではない。義父は仕方なく団地に移り、仕方なく住んでいるだけだ。
義父は借金を返すには家と土地を売るしかないと思うことができず、「売れなかったら家に帰る」と言う。もしかしたら、借金返済について忘れているのかもしれない。どうやって返済するかは意識にないのかも。
夫は仕事を休んで義父を病院へ連れていった。認知症についての診察では、医師に夫のことを「こいつは何も分かっていない」と言い、夫を貶したそうだ。
実際は、夫に生活を丸ごと面倒みてもらっている。
病院への付き添いなど、誰かにまかせられないものか?とワタシは思う。他人なら酷く貶したりしないだろう。
何とかしなくては。