窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

源氏物語ウェイリー版を読みはじめて

源氏物語ウェイリー版を読み始めた。空蝉まで読んだ。

 

なんか、下世話な話だなと思ってしまった。

 

光源氏は友人たちと色恋の話をしている。他に話すことはないの?

 

面白い話題は、色恋?

 

それに、空蝉が人妻と分かっているのに言い寄って関係をもったり、その後も空蝉の弟に夜這いの手引きをさせたりする。

 

読んでいて、変態かと思った。

 

空蝉が逃げ回るなら、代わりに弟に添い寝させるなんて。一緒に寝るってことは、性的関係をもったということだろう?

 

姉がダメなら弟と・・・

 

1000年前の人は、そういう話が当たり前に受け入れられていたのだろう。

「絶望ライン工」を見て

ユーチューブで「絶望ライン工」というチャンネルを見た。

 

「貯金1000万の日常」という工場勤務のチャンネル以外で、工場勤務の動画を見てみようと思った。

 

「絶望ライン工」と「貯金1000万の日常」は似ていると思った。

 

工場の非正規労働者であること、チャンネルの主が大卒であること。給料が低いことや、休みの日に日雇い労働をしていること。

 

共通点が多い。

 

でも、違う点も多い。「絶望ライン工」では顔を出して撮影されているが、「貯金1000万の日常」では顔をサングラスとマスクで隠している。

 

なので、内容に違いが出てくるんだろう。「絶望ライン工」を見ても嫌な気分にならない。

 

工場などで働く人を「底辺」と揶揄する「貯金1000万の日常」は、視聴する誰かが傷つくが、「絶望ライン工」では、多分傷つく人はいないだろう。

 

「絶望」という言葉は自分に向けられている。他人を貶していない。

 

「底辺」という言葉は自分にも他人にも向けられるが、人々をランク付けし、言葉を向けられたと思う人は傷つく。

 

昔、「底辺高」という言い方があったが、高校からの申し入れがあったのか、最近は「底辺高」という言葉は聞かない。

 

底辺とレッテルを貼られると、多分、生徒が集まらない。

 

昔「底辺高」と言われていた高校が、今では様変わりしていて驚くことがある。優秀な成績をおさめていたりする。

 

もしかしたら、今も「底辺」と見下す人はいるのかもしれないけど、高校生を見ていると、「底辺高」という言葉が聞かれなくなって良かったと思う。

 

「絶望ライン工」のコメント欄を見ると、あたたかい言葉が多い。

 

工場勤務の人に対して、「ありがとう」と感謝するコメントがある。

 

決して、「底辺」等と見下したりしないから、安心して見ていられる。

 

ふと、不登校支援の仕事を思い出す。

 

中学校で不登校だった生徒の進路についてだ。誰でも入学できる高校なんてないということを思い出す。

 

高校だって生徒を選ぶ。誰でも歓迎されるのではなく、その高校で学びたいという意欲がなければ選ばれない。

 

定時制高校でも、意欲が問われていた。決して全入ではない。

 

入りやすい私立高校であっても、中学校からの推薦が必要だった。

 

今はどうなんだろう?

 

大学も、希望すれば誰でも入れる放送大学があるが、学士として卒業するのは大変なことだ。

 

学び続ける意欲が必要だ。

 

お金も必要だし。

 

 

でもやはり、差別意識をもつ人は馬鹿にするのかな?

 

今日、「絶望ライン工」を見て、差別しない人たちがたくさんいると分かって安心した。

 

職場への愛情も感じられて安心した。

 

差別するのが当たり前という「貯金1000万の日常」というチャンネルを気にするのはやめることにした。

 

心が救われた。

 

 

生協で買った服

昨年の冬に生協でコーデュロイのワンピースを買った。すぐには届かず、温かくなってから届いて着る時期を逃してしまった。

 

品切れで買えないという残念さはなかったが、服が届いたときには季節外れになっているという残念さ。

 

ワンピースを寝かせておいて、やっと着る季節がやってきた。

 

待っていた甲斐があった。

 

生協で買い物をすると、よくこういうことがある。

 

ネット通販だと、わりとすぐに品物が届くが、生協だと早くて1週間かかり、2週間以上待つこともある。

 

 

社保逃れ 静かな退職

ユーチューブの「貯金1000万の日常」で、社保逃れ、静かな退職という言葉を聞く。

 

たくさん働いて給料が上がるとしても、税金や社会保険料が上がり得はしない。働く時間や日数を減らして社保料を減らし、欠勤した日には別の会社で日雇いバイトをするという。

 

また、ノルマを達成したら適当に時間を潰して、ノルマ以上の仕事をしない等の働き方が提案されていた。

 

コメント欄でも、副業で稼いで本業では適当にサボるという人がいた。

 

今はサボる人を解雇できない規制があるのだそうだ。下手にできると思われると仕事を回され」るから無能を装っているという。

 

「汚部屋の主婦ナミ」という動画では、コメント欄で「自立のために働かなくてよいのか」との問いに、働くと税金や社会保険料を払わなくてはならなくなるから馬鹿馬鹿しいというような動画の主からの返信があった。

 

仕事をするとしても、じぶんの好まない介護職等の仕事しかなく、夫の扶養を外れれば損をするだけと思っているようだった。

 

ユーチューブを見ていると、納税や社会保険料の納付を国からの搾取と捉える人が多いと感じる。

 

国民が国を支えるという意識を、「古い考え」と言い切る人もいる。

 

いつから社保逃れや静かな退職が当たり前になったのだろう?

 

労働は避けるべきこと?

 

しかし、働けなくなって生活保護を受けている人がバッシングされている。

 

会社で福利厚生の恩恵を受けている人が、なぜか生活保護バッシングをしている。

 

今ある社会制度の中で自分が恩恵を受けるのは良くて、自分より弱い立場の人が恩恵を受けることに対しては否定的。

 

それはなぜ?

 

昔、不登校支援の仕事をしていたときの記憶が甦る。

 

長く学校を欠席していた子が久しぶりに登校すると、歓迎ではなく冷たい視線を受けた。

 

欠席して怠けていると思われていて、学校で頑張っていると自認する子たちは、不登校の子を仲間と認めない。

 

今は不登校に対する見方は変わっているのかもしれないが。

 

この社会でも同じことがあるのかも。

 

自分は適当にサボっているのに、サボることさえできなくなった人は冷たい視線を受けるのではなかろうか。

 

病気で働けなくなったことさえ、健康管理ができなかったと責められるようだ。

 

 

ユーチューブをはじめてみた

ユーチューブは見る専門だったが、動画を投稿してみた。

 

動画の編集は無理なので、数十秒のショート動画を無編集で投稿した。

 

自分にできることを少し増やしてみたいから。

 

投稿したことで、ゼロではなくなった。でも、動画にしたいことがあるわけでもないから、とりあえず地域猫を投稿。

 

人気チャンネルのような中身はないが、とりあえず自分の好きなものを投稿できた。

 

地域猫や野良猫を撮影していこうかな。撮らせてくれる猫は少ないからワンパターンになるかも。

源氏物語が届いた

源氏物語ウェイリー版が届いた。ネット注文だから表紙しか分からずに買った。

 

で、届いた本の分厚さに驚いた。685ページ。行間が広いから目に優しい。読みやすい。でも、4刊中の1刊目とはいえ、かなりのボリュームだ。

 

易しい言葉で綴られているから読みやすい。今、大河ドラマ「光る君へ」を見ているから、言葉から情景を思い描きやすい。

 

桐壺更衣が廊下を歩くときに、嫌がらせで不浄なものが撒かれている様子なども易々と想像することができる。

 

やはり読みやすい。

 

買って良かったと思った。

 

 

今日、イオンモールに買い物に行った際にTSUTAYAにも行ってみた。

 

源氏物語ウェイリー版は新しい本ではないため店では取り扱っていないそうだ。

 

でも、注文して取り寄せるのは可能かもしれないと思った。

 

まずはこの1刊目を読み、続きは書店に注文しようかな。

貯金1000万の日常 コメント晒し

障害者雇用についての動画で、私のコメントが精神障害者発達障害の例として取り上げられ、人格否定もされていた。

 

差別的なコメントが集まるところにコメントしたのは危険だったと思った。

 

差別は良くないという主張に対しては、偽善と言われている。

 

私に対しては、6万円のメンバーシップに加入するならコメントしても良いと言われた。

 

合理的配慮をしてやるからお金を払えということ。

 

同様に、動画の主が働く工場では、配慮が必要な障害者に対して、手当て金もなく配慮するなんて迷惑だという考えの人が

多いようだ。

 

動画を見た当事者の一人は、会社等の組織で働くのを諦め個人事業主として働こうとコメントしていた。

 

身体障害者は良いが精神障害発達障害とは関わりたくないというコメントが散見され、頑張れる者は良いがそうでない者は邪魔だという意味だなと思った。

 

感覚過敏があって疲れやすく、休憩が必要な人等は、休憩を設けるという配慮を申し出るのは難しいのかもしれない。

 

この動画では、怠けととらえられている。

 

病気のために手先の器用さを損なわれている場合、「使えない」「仕事ができない」ととらえられているようだ。

 

まあ、とにかく、能力が劣る者は不要だという主張。

 

障害者雇用を、身体障害者に限定したいという内容でもあった。

 

大昔、精神障害者はあからさまに「きちがい」と呼ばれ、病院に隔離されていたと聞く。医療が進んで社会復帰が可能になってきたはずだ。

 

しかし、差別的な人が集う動画を見ると、大昔の意識と変わってないように思う。差別意識を守るべき伝統ととらえている人さえいる。

 

変わった人、風変わりな人と見るのではなく、発達障害者と見て、排除する傾向もあるようだ。

 

発達障害の傾向を持つ人が発明した物は多く、アートでは、ムンクセザンヌのように精神病をかかえた人の作品は多い。

 

楽天の創業者もニトリの創業者も発達障害だそうだ。

 

暮らしの中で、知らないうちに精神障害者発達障害者が作ったものを利用している。恩恵を受けている。

 

けれども、「人」としては付き合いたくないという人がいるのだな。

 

動画を見ると、健常者とメンタルに問題をかかえていない身体障害者だけのコミュニティを作りたがっているように見えるが、いざ自分がメンタルの不調に陥ったとき、どうするのだろう?

 

私のコメントが精神障害者発達障害として例示されたその動画は、再生回数12000くらいまで公開され、今はメンバーシップ利用者用として引っ込められていて見られなくなっている。