ユーチューブで「絶望ライン工」というチャンネルを見た。
「貯金1000万の日常」という工場勤務のチャンネル以外で、工場勤務の動画を見てみようと思った。
「絶望ライン工」と「貯金1000万の日常」は似ていると思った。
工場の非正規労働者であること、チャンネルの主が大卒であること。給料が低いことや、休みの日に日雇い労働をしていること。
共通点が多い。
でも、違う点も多い。「絶望ライン工」では顔を出して撮影されているが、「貯金1000万の日常」では顔をサングラスとマスクで隠している。
なので、内容に違いが出てくるんだろう。「絶望ライン工」を見ても嫌な気分にならない。
工場などで働く人を「底辺」と揶揄する「貯金1000万の日常」は、視聴する誰かが傷つくが、「絶望ライン工」では、多分傷つく人はいないだろう。
「絶望」という言葉は自分に向けられている。他人を貶していない。
「底辺」という言葉は自分にも他人にも向けられるが、人々をランク付けし、言葉を向けられたと思う人は傷つく。
昔、「底辺高」という言い方があったが、高校からの申し入れがあったのか、最近は「底辺高」という言葉は聞かない。
底辺とレッテルを貼られると、多分、生徒が集まらない。
昔「底辺高」と言われていた高校が、今では様変わりしていて驚くことがある。優秀な成績をおさめていたりする。
もしかしたら、今も「底辺」と見下す人はいるのかもしれないけど、高校生を見ていると、「底辺高」という言葉が聞かれなくなって良かったと思う。
「絶望ライン工」のコメント欄を見ると、あたたかい言葉が多い。
工場勤務の人に対して、「ありがとう」と感謝するコメントがある。
決して、「底辺」等と見下したりしないから、安心して見ていられる。
ふと、不登校支援の仕事を思い出す。
中学校で不登校だった生徒の進路についてだ。誰でも入学できる高校なんてないということを思い出す。
高校だって生徒を選ぶ。誰でも歓迎されるのではなく、その高校で学びたいという意欲がなければ選ばれない。
定時制高校でも、意欲が問われていた。決して全入ではない。
入りやすい私立高校であっても、中学校からの推薦が必要だった。
今はどうなんだろう?
大学も、希望すれば誰でも入れる放送大学があるが、学士として卒業するのは大変なことだ。
学び続ける意欲が必要だ。
お金も必要だし。
でもやはり、差別意識をもつ人は馬鹿にするのかな?
今日、「絶望ライン工」を見て、差別しない人たちがたくさんいると分かって安心した。
職場への愛情も感じられて安心した。
差別するのが当たり前という「貯金1000万の日常」というチャンネルを気にするのはやめることにした。
心が救われた。