スーパーの果物売り場に梨が並んでいた。
秋なんだなあ。
美味しそうだなあ。
でも、1こ300円は高い。
数秒、梨を見つめて買うのを諦めた。
今日は買えないけど、週末には買って食べたい。
ケーキを買うつもりで買おう。
スーパーの果物売り場に梨が並んでいた。
秋なんだなあ。
美味しそうだなあ。
でも、1こ300円は高い。
数秒、梨を見つめて買うのを諦めた。
今日は買えないけど、週末には買って食べたい。
ケーキを買うつもりで買おう。
自立支援医療受給者証の更新手続きのため、市役所へ行った。
私はうつ病の治療を長く受けている。
いつからか覚えてないが、病院にすすめられて、治療に多額のお金を使わなくてよいという自立支援を受けている。
月々の治療費に上限があるから安心だ。
受給者証を見て、心が凹むのは、「重度かつ継続」の項目に「該当」と記されていること。
気楽に無理のない生活をしているが、油断してはいけないのだろう。
受給者証を見ると、自分は病人なんだと自覚せざるをえない。
私の身近に無理を強いる人がいないから平穏に暮らせるのだなと思う。
更新の手続きは簡単だった。
ただ、人に手元を見られながら書類を書くのは嫌だった。
少し緊張する。
後で思った。
書類を持ち帰って、ゆっくり家で書けば良かった。
対応が親切だったのには感謝している。
そうでない場合もあるから。
昨日も野良猫の居場所へ行った。
会えたのは、キジ白と茶色と八割れ。そして白い雄。
私が探している二毛の猫は姿を見せなかった。
体調が悪そうに見えたから心配している。
こんなに何日も姿を見せないって・・・
それは、もうその姿がないからではないかと思うようになってきた。
どこかで倒れて、死んでしまったのかも・・・と想像してしまう。
野良猫の居場所に「餌やりに困っています」というポスターが貼られている。
野良猫に餌をやるなという意味のポスターだ。
キジ白と茶色の猫は長く餌やりをしている人が不妊手術を受けさせたし、
フン害が出ないようにトイレを設置している。
が、近所の人が市役所に苦情を言ったらしく、「餌やりに困っています」というポスターが貼られた。
そのポスターを貼るよう働きかけた人やポスターを貼った人は、野良猫が病気で死ぬことを想像しているだろうか。
少なくとも一匹はいなくなっている。
最近、一生懸命生きているか?という問いが思いうかぶ。
で、一生懸命ではなく気楽に生きていると自覚する。
すると、もっと頑張らなくては駄目だと言われているような気がして落ち着かなくなる。
もっともっと・・・頑張れ・・・などと追いたてる内なる声が私の病気のもとだと思う。
うつ病にありがちなこと。
不完全なありのままの様子を受け入れるのが、どうしてか難しい。
こんな自分に言う。
野良猫を見てごらん。
いつものようにご飯を食べて、毛繕いしてよく眠る野良猫を見たら、
頑張って生きていると思うでしょ?
怠けているとは思わないでしょ?
人と猫は違う?
確かに違う生き物だけど、いつものように食事ができて十分な睡眠がとれて、身の回りを整えられたら良いのでは?
日々、少しずつでもピアノの練習をしているのは、頑張っていることなのでは?
特別な誰かと比べて自分を過小評価してない?