窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

水俣病患者の声を切った環境省職員

今日もワイドショーで水俣病患者の声を遮った様子を見た。

 

話す時間は3分あるはずなのに、2分過ぎたあたりから話をまとめるようにと急かしていた。そして、他の参加者が「私の時間を使ってください」と譲っていた。

 

でも、マイクが切られたので話すことは叶わなかった。

 

話していた患者の家族は話すプロではないから、原稿を準備していたとしても3分以内に話をまとめるのは難しかったと思う。

 

会の運営側は、参加者への配慮のないやり方で通した。3分以内の話だと、多分、自己紹介で終わってしまう。思いを語るのは無理。

 

で、無理と分かっていての進行だったとしたら、形だけの会を開いたんだよね?

 

水俣病が防げなかった責任は国にあるはずだけど、環境省の職員にとっては他人事。

 

そもそも、水俣病のような公害を防ぐために環境省があるはずだから、被害者の声を遮るようなやり方は許されないと思う。

 

環境省が公害の被害に鈍感ならば、新たな公害を防げないかも。

 

あの職員がどんな人か知らんけど、反省して欲しい。

 

でも、多分、あんなことをしたとしても処分などないんだろう。

 

謝罪もないだろう。

 

当たり前のことをしたまでと思って淡々と環境省の仕事を続け、もしかしたら、環境省職員の経験を実績として地方議員に立候補したりするのかも。

 

どこかの市長になったり、どこかの会社の偉い人になったりするのかも。

 

ニュースに出てこないけど、私は被害者の声を遮った人の名前を知りたいと思った。

 

もし知ることができたら記録しておきたい。

検索したら、懇談会の司会をしたのは特殊疾病対策室の木内哲平室長と分かった。

慶應義塾大学医学部を卒業して国家公務員になった人。

いろいろ経験を積んで偉くなっていく途上の人なんだろう。ネットに経歴が出ていた。

 

石綿健康被害対策室の室長という経歴もあった。

 

医学部を卒業して国民の健康に関係するする仕事をしてきた人のようだが、そんな人がなぜ被害者の声を遮るようなことをしたんだろう?

 

国を動かす仕事をしていると国民の声は邪魔になるのかな?

 

懇談会の席にいた環境大臣は、マイクが切られて被害者の声が遮られたことに無関心だった。

 

大臣は話を聞いていなかった。

 

聞くふりはしていたようだ。

 

大臣は自民党の議員。選挙で選ばれた人だが、国民の声に関心がない?

 

自動的に会を早く終わらせたい国民の声に無関心な職員が出世する?

 

なんだかな?安倍総理に忖度していた役人を思い出す。

 

出世のために総理大臣の顔色をうかがい、部下に文書を改ざんさせた。その部下にあたる人は心を病んで自殺した。

 

今回のことも、水俣病患者の声を聞きたくない大臣のために職員が会を早く終わらせようとしたのかもしれない。

 

出世のために上を見ているのだとしたら、それ以外はどうでもよくなるかもしれない。

 

被害者の声を聞こうとしたら、会は時間オーバーする。

 

すると、大臣の機嫌が悪くなるから早く進行しなきゃと思う。

 

単純にそういうことかな。

 

ただただ、大臣への忠義心からの行動なのかも。

 

もしも、国民の声により敏感な政党が政権をとったら、職員の行動は変わるのかな?

 

時々政権交代するような緊張感がないと、国民の声は無視されやすいのかもしれない。

 

マイクを切るくらいだから、声を拾い上げる機会を潰したり、上がってきた声を握り潰すこともあるんだろうと思った。

 

水俣病の患者に、チッソから支払われた慰謝料や見舞金はとても少なかったと聞いたことがある。

 

患者と認定されたら医療費が助かると聞くけど、認定されなかったら当たり前に医療費がかかり、金銭的に大変だろう。

 

逆に、水俣病の差別を恐れてあえて申請しない人もいると聞く。

 

水俣病のイメージを払拭したいという動きはある。

 

苦しんでいる人たちが高齢になり、徐々に亡くなり、水俣病という公害があったことさえ忘れ去られることが望まれているのかな?

 

水俣病のイメージから、明るいイメージに変わるように。

 

そのために、苦しんで亡くなる人を気にしたくないのかな。

 

健康被害のイメージはお金にならないから?

 

そう言えば、森永と聞くと、私は森永ヒ素ミルク事件を思い出すけど、今の若い人は事件そのものを知らないだろう。

 

事件の特集もない。赤ちゃんが飲むミルクにヒ素が入っていて、亡くなったり後遺症が残ったりしたなんて、知らない人の方が多いのかな。

 

同じように、水俣病について忘れたい人の声が優勢で政治に反映されているのかもしれない。

 

国を動かしている大臣も職員も、お金になる方を向いているのだろう。