窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

夫がマスクを1箱買ってきてくれた

昨日、夫からのメールを読んで

 

すごく喜んだ。

 

「マスクが1箱買えたぞ」というメールだった。

 

30枚入りかな、50枚入りかなとイメージし、

 

自分の中で嬉しさを膨らませていた。

 

 

夫が持ち帰ったマスク一箱は、5枚入りだった。

 

しかも500円という高さ。

 

1枚100円だなんて、高過ぎ。

 

 

まあ、いいか。

 

絶対的にマスク不足なんだ。しかたない。

 

今はね。

 

今のところ買い置きしているマスクが40枚ある。

 

これがゼロにならない程度にマスクをやりくりしよう。

 

 

先日、実家へ5枚の使い捨てマスクを送った。

 

買い置きマスクが35枚になったが、

 

夫が5枚補充し、

 

今の枚数は40枚だ。

 

 

 

品薄なのはマスクだけじゃない。

 

使い捨て手袋もそうだ。

 

我が家では、たまたま100入りを2箱を買い置きしていたから、

 

困ってない。

 

けれど、このまま品薄状態が続けば、

 

困ることになる。

 

 

体温計も品薄だよね・・・。

 

 

品薄状態が続くと、マスクが値上がりしたように

 

使い捨て手袋も体温計も高くなるのかな?

 

 

ふと「配給」という言葉が思い浮かんだ。

 

子どもの頃、母方の祖母が言ってた言葉の断片に「配給」がある。

 

戦時中のことか戦後のことか分からないけど、

 

祖母が言っていた。

 

子どもたち(私の母の兄弟姉妹)の靴を手に入れるのが大変だったそうだ。

 

配給でやっと手に入れても、サイズが合わなかったそうだ。

 

 

 

配給について、何十年も考えることなく暮らしてきた。

 

それなりに物に恵まれた暮らしだったんだな・・・。

 

今は、マスクや使い捨て手袋を配給してほしいと思う。

 

一定数を店で買えるなら、少しは安心できる。

 

 

「配給」の他に、「代用品」という言葉も思い浮かぶ。

 

子どもの頃に見たアニメ・「銀河鉄道999」で、

 

本物のソバが食べられない人々は合成の代用ソバをを食べるというシーンがあったと記憶している。

 

元々庶民の食べ物なのに、庶民が食べられないことに違和感があった。

 

本物は高級品で、偽物が庶民のものになってるという設定だった。

 

 

私は1日に1枚のペースで布マスクを手作りしている。

 

布マスクとしては本物なんだけど、

 

使い捨てマスクが手に入らないから、代用品として布マスクを作っている。

 

だから、私が作る布マスクは本物という感じじゃなく、偽物・代用品だ。

 

ネットで布マスクを検索すると、手芸のプロが作った美しい布マスクの写真をたくさん見ることができる。

 

それらの写真に「売り切れ」と表示されている。

 

1枚600円くらいから2000円くらいのものが多い。

 

美しい色柄、形の布マスクは、私には作れない優れものばかりだ。

 

手芸作家のマスクは、「本物」だなあ。

 

 

まあまあ・・。

 

私だって、毎日少しずつマスクを作っているから上達している。

 

ただ、材料が良くない。

 

使い古したシーツでマスクを作っている。

 

適度に柔らかくて、つけ心地は良い。

 

ガーゼより良い感じだ。

 

着古したシャツやブラウスの生地でも良いなあと思う。

 

既に肌に馴染む柔らかさになった生地でマスクを作ったら、

 

自分ら専用。

 

売り物にはならない。

 

 

ああそうか。

 

私が作る布マスクは、「偽物」じゃなく自分ら「専用マスク」という、

 

ちょっとした贅沢品なんだな。

 

しかも、ノープラスチックでエコだ。

 

使い捨てマスクの代用品だが、満足している。

 

 

こんなふうに、毎日、マスクについてグルグルと考えている。

 

グルグルと回っていて、

 

エネルギーを産み出しそうだ。

 

それなりに楽しくもある。