窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

食器洗い洗剤で浴槽を洗ってみた

湯船に少しだけ水を入れ、そこに食器洗い洗剤を垂らして泡立ててから浴槽を洗った。

 

食器洗い洗剤で浴槽を洗うと、水が黒っぽく濁った。

 

 

浴室用洗剤と比べて汚れ落ちが良いと思った。

 

すすぐのは手間がかかった。

 

食器用・浴室用と使い分けず、食器用で浴室を洗っても構わないと思った。

 

なぜか、浴室用洗剤で食器を洗ってみようとは思わない。

 

多分、洗剤に「上」「下」と格付けをしていて、

 

浴室用洗剤は食器用洗剤より格下だと思っているからだろう。

 

同じように、洗濯用洗剤で食器を洗おうとは思わない。

 

昔は、石鹸で何でも洗っていただろう。

 

いつから、こんなに多種の洗剤に分かれたんだろう?

 

場所や洗うもので洗剤を使い分けるのは、ぜいたくなことだと思う。

 

少しずつこだわりを捨てて、洗剤の種類を少なくしたいなあ。

 

 

ゴーン被告の逃亡のニュースを見て

保釈中のゴーン被告がレバノンに逃亡したニュースを見て、

 

逃げ得だなあと思った。

 

レバノンは日本に罪人を送る約束を交わしていないから、

 

ゴーン被告は日本で裁かれるのを心配しないでレバノンで自由に暮らせる。

 

 

最近、保釈された人や収監前の人が逃げるニュースを見ていて、

 

「逃げても捕まるものだ」と思っていたが、ゴーン被告の場合、

 

「逃げても捕まらない」と見せつけられたようで悔しい気がする。

 

 

ゴーン被告が罪を犯したかどうかは確定してない。確定してないのに長期にわたって拘留されたのを、「懲罰」ととらえて怒っているのかな?

 

罪を犯していないのに、「自白したら帰れるぞ」などと警察官に言われて嘘の自白をして犯罪者として判決を受けた人が、日本には大勢いるから、

 

確かに、警察や検察に事情を聴かれること自体が苦しく怖いことに違いない。

 

一人ぼっちで心細く、心も体もダメージを受けるだろう。

 

もしも自分が悪いことをしていないのに逮捕されたとしたら・・・と想像すると、

 

とても怖い。

 

逮捕された時点で人生が終わる気がする。

 

私のような者の場合、逃げるという選択肢はない。

 

ゴーン被告の場合、アメリカ軍の特殊部隊出身の専門家が逃亡に協力し、

 

レバノンという受け入れ先もある。

 

レバノンという国が守ってくれる。

 

 

不公平だなあ。

 

ある種の特権階級にいる人は、法を犯したおそれがあるとして被告になったとしても、

 

多くの協力を得て逃げることができる。

 

 

関連して思い出すのは、連合赤軍という日本の過激派が飛行機をハイジャックして北朝鮮へ逃げた事件だ。ハイジャックの犯人は、北朝鮮で無事に暮らしたと聞く。

 

逃げ得だ。

 

武力で飛行機を支配し、乗務員や乗客を盾にして逃げてしまった。

 

武力を持つ者も、ある意味で特権階級に属するのかもしれん。

 

 

日本の法律に縛られない人たちが、特権階級の人たち・・・かな?

 

一般人と違う人たちだから、法律で裁かれない・・・のかな?

 

金持ちだから?

 

暴力的な組織の一員だから?

 

 

悪いことをしても裁かれなかったり、

 

逃げることができたりするのが、特権階級の特権かな?

 

ゴーン被告から見れば、日本はめちゃくちゃな国で、

 

日本人もどうでもいいんだろうね。

 

それくらいに日本を憎んでいるだろう。

 

 

木梨憲武の歌を心地よく聴けないという僻み

ラジオを聞いていたら、映画「アナと雪の女王」の歌を歌ってる女性が出演し、

 

良いなあと思う歌を紹介した。

 

木梨憲武の「I love you だもんで」という歌。

 

奥さんの安田成美さんに宛てた手紙のような内容だった。

 

木梨憲武ファンが喜びそうな歌だ。

 

 

人をいじって苛めて笑いをとっていた「とんねるず」の様子が頭に浮かび、

 

「良い歌」というイメージを持てなかった。

 

とんねるず」の木梨憲武は美術作品の発表もしていて大活躍しているが、

 

どうしても、とんねるず木梨憲武が「いじめ」のイメージがなくならない。

 

ラジオから流れる歌を聞いても、「ああ、歌ってるなあ」と思うくらいだった。

 

木梨憲武の視線で語る安田成美の様子は歌詞から分かった。

 

98000円のバッグをカード払いで買おうとして、98万円だったから顔を赤くして買っていた・・というような歌詞があった。

 

微笑ましいエピソードとして歌っているようだったが、

 

私は少しも笑えなかった。

 

妬みや僻みがムクムクと発動した。

 

私だったら気まぐれに9万越えの買い物をしないからだ。

 

私から見れば、それは浪費。

 

けれども、木梨憲武から見れば普通の買い物。

 

金銭感覚が違い過ぎる。

 

あまりに違い過ぎて怒りを感じる。

 

たぶん、私は貧富の差に怒ってるんだろう。

 

 

1962年製の電柱を見つけた

散歩しながら道路わきの電柱を観察していった。

 

なめらかな手触りの電柱が多い一方で、コンクリートが洗い流されたようなザラザラと小石むき出しの電柱もあった。

 

上から下まで一直線にひびわれたものもあった。

 

一本一本、それぞれに陶器製のマークが入っていて、会社名や製造年らしき数字が書かれていた。

 

新しい電柱は2017年製、見つけた中で最も古いのは1962年製だった。

 

24とか29とかと書かれた丸いシールが貼られていたので、5年おきに点検されているのかと思う。

 

電柱を作っている会社は、九州ポールと大日ポールだった。

 

CMで見たことがない会社だけど、町中に「九州ポール」と「大日ポール」の電柱がある。

 

宣伝しなくても、その業界でやっていけるのたろうし、電気の消費者が電柱を買うのではないから宣伝しなくてよいのだろう。

 

どの電柱もコンクリート製。もしかして、コンクリートを供給している会社は麻生セメントかなあ。

 

電柱の管理をしているのは九電工かなあ?

 

九州電力のマークがついた九州ポール製の電柱があった。

 

もしかして、九州ポールは九電の子会社?

 

 

電力も送電網も九州電力が握っているんだなあ・・・。

 

 

1962年・1964年・1967年の電柱を見て、大型台風で折れないかと少し心配になった。

 

 

散歩でアオサギ・セキレイなどを見つけた

太宰府市の通古賀(とおりこが)近辺を散歩した。

 

去年の新春番組(ブラタモリ・家族に乾杯)で紹介されていた大宰府政庁から碁盤の目のように作られた古い道も歩いてみた。

 

古い道には、太宰府市が説明をつけてくれている。

 

バンバン車が通る道と古い道は直角でなく鋭角に交わっていて、古くから建っている家は、

 

車道に沿わず古い道に沿っている。なので、車道から見れば家が横を向いて建っている。

 

古い道は車がすれ違えないくらいの幅しかないが、

 

渋滞を逃れようとする車が結構な速さで走り抜けていく。

 

 

通古賀を流れる川沿いを歩くと、野鳥を見ることができた。

 

空に大きな円を描くように猛禽類が一羽飛んでいた。

 

鷺田川(さぎたがわ)は大雨で流されてきた砂で浅くなっていた。

 

水の表面の波立が網目状に連なっているのを、川に差し込んで光る日光が映し出していた。

 

川が浅いから水の影を見ることができるのだなあと思った。

 

流れの中に、あごひげのような毛を垂らしている大きな鳥が立っていた。

首は白く羽は青黒い。

 

じっと流れを見ている鳥。たぶんアオサギという名だろう。

 

一直線ではなく、一定のリズムで跳ね上がるように飛ぶ鳥がいた。

 

たぶん、セキレイ

 

川の近くの公園で、お腹が茶色い小鳥を見た。

 

ヤマガラかなあ?

 

メジロ・スズメもいた。

 

 

鳥の名前を知っていたら、もっと見つけた鳥について書けるのになあ・・・。

 

まあいいか。

 

今日は野鳥を見つけて、春が近づいているなあと思った。

 

 

いや、まてよ。

 

野鳥は冬にも居るのだから、

 

野鳥=温かい春とイメージするのは間違いだろう。

 

私らが散歩をして楽しんでいることが「春」「温かさ」に関係している。

 

 

鳥は、

 

「人間が歩いている。温かくなってきたのだなあ」

 

と言ってるかもしれん。

 

 

おひとりさまが入院するとき、とても大変だ

正月に実家へ行き、

 

母親の愚痴を聞いてしまった。

 

聞きたくないが聞こえた。

 

叔母が病気で入院しているのだが、

 

母親が身元引受人を引き受け、嫌でしょうがないようで

 

「負担だ」と何度も言っていた。

 

叔母に子どもがいないのだから、身内として引き受けることになったのだが、

 

表向き嫌だと言えず、嫌だ嫌だと愚痴をこぼしている。

 

 

そんなに嫌なら辞退すればいいのでは?

 

身元引受人をする能力がないと言って辞退すれば?

 

どうにもならないことなら言わなくても良いのでは?

 

 

叔母を知っている私としては、身元引受人を引き受けたくなかったのに引き受けたのだという愚痴に対して共感の言葉を言うのに抵抗があり、

 

何も言えなかった。

 

大病で命の危険があるとき、血縁のある妹から疎まれたりするものなのだなあと

心が冷たくなった。

 

おひとりさまの叔母は、「負担だ」「嫌だ」と言われていることを知らずに入院している。

 

 

もしも私が夫より長生きしたとしたら、

 

身元引受人や保証人を誰に引き受けてもらうか、前もってお願いしておかなきゃならないなあと思った。

 

もしかしたら、実の子どもでも引き受けるのは嫌なことかもしれない。

 

できれば、「負担だ」「嫌だ」などの愚痴や陰口を言われずに入院治療したいなあ。

 

血縁者に頼るのではなく、お金を支払って仕事として引き受けてくれる人がいたら良いなあと思った。

 

ぁぁ・・、またまた、お金・・・。

 

お金の心配もしたくないなあ・・・。

 

 

世の中のおひとりさまたちは、入院治療の手続き、どうやってるの?

 

 

新年早々、カワセミを見ることができてうれしい

菅原道真公の住居跡だと言われる榎社(えのきしゃ)あたりや西鉄二日市駅周辺を散歩した。

 

西鉄二日市駅の近くを流れている川は、川というよりコンクリートで固められた溝のように見える。

 

美しくないので生き物はあまりいないのではないかと思ってた。

 

 

「ポチャン」と音がした。

 

2メートルくらいの高さのコンクリートに囲まれた川に、だれかが石を投げ込んだのかと思ったが、人はいなかった。

 

水から小さくものが飛び出し、青くキラッと光ってコンクリート塀の上に上がった。

 

青い部分と茶色い部分が見えた。

 

カワセミに違いないと思い、

 

「お父さん、カワセミがいるよ」と

 

一緒に散歩する夫に知らせた。

 

二人で静かに、見続けた。

 

カワセミは2羽。

 

「ポチャン」という音は続いた。場所を少しずつ替えながら代わりばんこに水に飛び込んでいた。

 

意外にも魚がいるのだろう。