小山田圭吾さんがオリンピック開会式の音楽担当にふさわしくないのではないかと言われている。
理由は、中学校時代の障害者虐待を雑誌で「いじめ自慢」として告白し、反省してないから。
ネットで素地を読むまで私は小山田圭吾さんを知らなかった。
コーネリアスといわれても、全く知らない。多分、曲を聞いたことがないんじゃないかと思った。
でも、Eテレ「デザインあ」の音楽担当と知り、ちょっとショックだった。
「デザインあ」は時々見てるからだ。
中学時代の障害者虐待について
謝罪できなかったのはなぜなんだろう。
なぜ、「いじめ自慢」として雑誌は取り扱ったんだろう?
取り上げ方によっては、謝罪の気持ちを述べることもできただろうに・・・。
それとも、全く謝罪の気持ちがなかったの?
被害者に償うこともできなかったの?
小山田圭吾さんの件は、ショックだ。
オリンピックの音楽担当にはふさわしくないと思うが、どうなるんだろう。
どんな気持ちで開会式を見たら良いのだろう?
雑誌に書かれていた内容を思い出すととても恐ろしい。
学校に居場所がなくて図書室にいる障害のある生徒が、図書室にいるがゆえに
加害者たちに目をつけられ狩られるなんて、とても恐ろしい。
小山田さんが中学生のときにやったとされる「虐待」は、被害者が死んでいたとしても不思議ではない。とても酷いことだ。
ネットには虐待の内容が書かれているが、テレビでは触れられない。
テレビしか見ない人は、虐待をスルーしてしまうかもしれない。
スルーしているのはオリンピックの偉い人たちだ。
偉い人が「いいよ」「このまま音楽担当ね」と認めている。
何も知らないでオリンピックの開会式や閉会式に感動したら、
音楽が素晴らしかったと思ったりしたら、
そんな自分も凄惨な虐待を容認していることになるんじゃないかと思う。
人柄と音楽性は別物だと割り切れない。
いじめ自慢について音楽雑誌で告白されていたのだから、
小山田さんのことは、音楽業界で知られていたと思う。
私はピアノを習うことで音楽に触れて少しずつ音楽が好きになってきたが、
もしかしたらいじめや虐待を容認するという私が嫌いな体質が音楽業界にはあるのかもしれないと思った。
学生の頃、音楽のピアノの授業でピアノが嫌いになったのを思い出す。
好きな曲があり、楽しんで弾いていると、
先生から「音楽に酔っている」とぴしゃりと叱られたことがあった。
「あなたたちは苦労を知らないから・・」と意味不明な叱られ方をしたこともあった。
弾いている途中でピアノの蓋を閉められた友人がいた。
先生はイライラしていたんだろう。
イライラしてキツイ言い方で指導したり、怪我をするかもしれない指導をしたりという記憶がある。
今ならダメな指導だと思う。
今 習ってる先生は、間違いを気にし過ぎず多くの曲に触れましょうと言ってくれていて、昔の先生とは違う。
せっかく、音楽が好きになってきたのに・・・
作曲家の中にはやってよいことと悪いことの区別がつかないという問題を抱えている人がいるかもしれないということは、とても嫌なことだ。
音楽性が高ければ、いじめや虐待は問題にされないなんて、嫌なことだ。
オリンピック直前のスキャンダルと言われているが、小山田さんが20代の頃から知られていたことだ。
なのに活躍し続けているのだから、音楽業界で彼の過ちは問題ないと扱われていたんだな・・・。