春日市立の小学校で、2019年9月、当時24歳の男性教諭が自殺した。公務災害と認められたというニュース記事を読んだ。
テレビのニュースでも見た。
いくつかネットの記事を読んだ。
記事から分かったこと。
2019年4月に春日市の小学校に赴任。3年生の学級担任になる。
5月、運動会のエイサーの振り付けを覚えていないとして厳しい指導を受ける。
授業の研修をめぐって必要以上に長時間にわたり他の教員の面前で叱責を受ける。
教員あるあるだと思った。
私が小学校の教員だった頃、運動会のダンスの指導は大変だったという記憶がある。
6年生の担任だったとき、初めて学年のダンスの担当になり指導にあたったのだが、初めてであたふたした。
うまくいかない様子を、ベテラン教諭が笑っていて、とても惨めな気持ちになったのを記憶している。
何のダンスだったかは、もう覚えていないのだけど、私に聞こえるような声で笑われたのは忘れられない。
3年生の担任をしていたとき、ダンス指導の担当ではなかった。その時の学年の先生たちはチームワークが良くて、ダンスの指導は楽しかったと記憶している。
授業の研修は苦しい記憶が多い。昔は指導教諭がいなかったから大変だった。授業は先生たちが見に来るし、授業後の検討会では、あれがダメこれがダメとみんなの前でダメ出しされる。誉められた記憶はない。とても孤独。
板書や発問の細かなところまで、ダメ出しされた。教室の掲示物もチェックされた。
赴任しての初年度は、教育実習が1年間続いたような感じだった。
保護者にも苦手意識を持ってしまった。求められることが多い。新任であるというだけで、保護者は不満だし、うまくいかないと、もっと不満。ハズレと言われる。
先生たちは、人柄は悪くなかったのかもしれないけど、私には辛い記憶が多い。
今日も仕事だと思うだけで、吐き気がする毎日だった。
辞めずに続けていたらどうなっていたのかな?
給料もボーナスも悪くなかった。でも、自分らしさが失われて、嫌な人間になってしまいそうで怖かった。
新任の頃、「あなたはマイペースだから」とか、「自分のことで精一杯でしょ」と言われて、まるっと人としてダメだと言われたような気がしたのを覚えている。
4年目の頃、やりかけの仕事があっても12時には寝なさいと気遣ってもらったのは、良い思い出だ。
良い思い出もあったと思えるのは、職から離れたから思えることなのかも。
あの頃は、子どもたちが可愛いと思えるゆとりが失くなっていた。自分らしさも損なわれていた。
早期退職した教諭に対して、「教師崩れ」という揶揄する言葉があった。
辞めて良かったと言いにくい雰囲気はあったと思う。その道を全うできなかった脱落者という見方があったと思う。
労働環境を改善しようという流れがある今だったら、素直に辞めて良かったと思えるのかもしれない。
辞めて別の職業に就くことを考えやすい環境だったら、自殺を考えるほどに追い詰められなかったんじゃないかな?
春日市の小学校で自殺した先生は、もう無理だと休んでも良かったし、別の職業に就くことを考えても良かったはず。
初任者研修を受けながら学級担任をし、校務をこなし、研修という教育研究も担当しなくてはならないなんて、寝る時間を削るしかない。
潰れなかった先生が、潰れそうな先生を嘲笑うような地獄。それが学校だと言ったら良いのかな。
地獄を地獄でない世界に変えるか、地獄に行くなと若者たちに伝えるか、どうしたら良い?
たくさんの先生が自殺しているけど、掘り下げたニュースにならない。
どの学校でも同じような環境だから、自殺した先生が弱かったと片付けられてしまうのかな?
教員志望者がさらに減って、学校が維持できないほどになれば、変わるのかな?
授業以外に研究もしなくてはならないのは、無理があると思うけど、ニュースにもならんし。
極端な話、ほとんどの先生が非常勤講師になってしまったら、良いのではないかと思う。
学級担任と研究、校務をしないから非常勤講師は負担が軽い。
短時間のパートで働きたい人はいると思う。
学級担任がなくなるだけでも楽かも。