窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

森さんや二階さんは、自分が正しいと思うことを疑う必要があるでしょう

森喜朗さんの女性蔑視発言について、テレビでとりあげられているのを見て、

 

例えば、Aについての識者の集まりに素人が参加して分からないことについて質問したら、

 

「質問するな」「素人は識者に任せておけばよい」「話を聞いているだけでよい」とか、

 

「分からない人に合わせるのはおかしい」

 

「分からん分からんと言うな」

 

などと黙らせようと叱責される様子が思い浮かぶ。

 

識者は素人の考えを取り入れず、識者だけで突っ走る。

 

素人は置いて行かれる。

 

 

テレビで森喜朗さんの失言について聞いていると、

 

もう森さんが会長に適任かどうかはどうでもよい気がしてきた。

 

会議の席にいても、いないかのように扱われる人がいるとしたら、

 

多分、数合わせのための人。

 

 

会議に女性を入れることになり、数合わせのために女性を入れる。

 

だから、それらの女性たちの意見に意味を感じないのだろう。

 

男性だけで下打ち合わせをして、決めるべきことを決めているとしたら

 

会議に女性は不要。

 

 

こういうのが日本人の本音だと言う人、いるだろう。

 

 

戦前、女性に選挙権がなかった。

 

政治に女性が参加するようになって、歴史が浅い。

 

昔の日本らしさを懐かしむ人は、女性が政治に参加したり、

 

意見を言ったりすることに違和感があるのかも・・・。

 

 

森さんも二階さんも、戦前に生まれた人だ。

 

戦前生まれだからとレッテルを貼ってはいけないかもしれんけど、

 

戦前の女性像が森さんにも二階さんにも染みついているかもしれんと思う。

 

 

森さんは、子どもを産んでいない女性を認めない発言をしていた。

 

戦前は、子どもを産まない女性に価値がないと言われていたと聞く。

 

子どもを産むかどうかが関心の的であって、女性の意見には無関心なのかも・・・。

 

 

森さんがいないと成功しないと言われている東京オリンピックに、

 

私は関心を持てなくなったきた。

 

「新しい何か」を見せてくれるに違いないと期待していたからだ。

 

お年寄りに対する尊敬の気持ちも、少し薄くなった。

 

古い考えのままだから・・・。