窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

暦から思うこと

幻の東京オリンピック皇紀2000年だと思ってたら、

 

間違ってたみたい。

 

2600年?

 

 

まあ、いいか・・・。

 

それにしても、西暦を私らが使ってるのはなぜ?

 

キリスト教の国に合わせているからかな・・・。

 

ユダヤ教徒イスラム教徒も西暦を使っているんだろうか?

 

もしかしたら、国や宗教それぞれで、使ってる暦は違うのかもしれんなあ。

 

戦前の日本が皇紀元号を使ってたみたいに・・・。

 

 

もしも日本で、皇紀が復活するなら、

 

西暦・皇紀元号の3つを使うことになるんだろう。

 

想像したら面倒くさい。

 

 

私が若かったころ、「昭和」という元号を使い、西暦はあまり意識しなかった。

 

意識したとすれば、「1999年7の月、恐怖の大魔王が・・・・」というノストラダムスの大予言がブームになったり、

 

ドラえもんやSF小説などで、21世紀やもっと未来のことが描かれ、

 

西暦で書かれていたことで、昭和の時代からトリップしたような気分になっていた。

 

日常生活で使っていたのは「元号・昭和」。

 

不慣れな西暦を使うと、間違えることが多かった。

 

欧米のことを紹介する文章やテレビ番組、映画は、

 

必ず西暦を使っていたから、

 

いつも、「昭和〇〇年は西暦〇〇〇〇年」と変換して考えていた。

 

ふと思い浮かぶのは、

 

なぜか、宇宙戦艦ヤマトの設定。

 

2199年だ。

 

小学5年生の私は、2199年が、すごく遠い未来に感じた。

 

200年以上先の世界だから。

 

これを元号で表現するの、無理だな。

 

皇紀で表現するのも、無理だと思う。

 

元号は、そのときの天皇の時代だし、皇紀は初代の神武天皇が即位した年を元年にしてる?から、

 

未来を考えるときも過去を考えるときも、天皇をイメージすることになる。

 

天皇が「神」とあがめられていた世代の人は、無理なくイメージするだろうが、

 

天皇が人間だと思ってる私には、遠い過去や遠い未来の天皇をイメージするのは無理だ。

 

天照大神も神様としてイメージできない。

 

私にとって、神道や日本の神話が遠いものになっていて、

 

皇室への尊敬の気持ちも当然ながら薄いだろう。

 

神社に参拝して、ありがたいと思ってない。

 

賽銭は、5円や10円を投げるだけだ。

 

 

朝日を浴びて清々しい気持ちになるとき、太陽はありがたいと思う。

 

太陽を天照大神だと思えたら、

 

私は信仰心を持てるのかもしれん。

 

 

 

幼い頃、近所のおじいさんは朝日に向かって毎朝拝んでいた。

 

太陽にお参りするおじいさんを思い出す。

 

で、当時の実家の床の間に「天照大神」と書かれた掛け軸があり、

 

毎朝、神棚に水を供えていた。

 

良いことも悪いことも、「お天道様は見ている」と言われていた。

 

「おてんとうさま」と言ったり、「おひさま」と言ったりしていたっけ。

 

 

もう一つ思い浮かぶのは、塩。

 

お通夜や葬式から帰ってきたら、塩を自分に

 

ぱっぱと撒いてから家に入った。

 

塩で清めるっていうの?

 

そういう儀式めいたことをやってた。

 

「四」「九」の数字を恐れていた。

 

四は死を、九は苦をもたらすからと言われていた。

 

昔見てた野球アニメ・「侍ジャイアンツ」の主人公は、

 

皆が避ける「4」の背番号だった。

 

死を恐れない型破りな選手と描かれていた。

 

今は、背番号4は不吉でも何でもない。

 

あの4や9を避ける感覚は、今はない。

 

数字はどうでもいい。

 

 

が、「八」を有り難がる感覚は残っている。

 

ありがたい理由は知らん。

 

これも、神道と関係あるのかなあ?

 

8を横にしたら∞になるから?

 

∞は無限。

 

 

私の実家で飼ってた犬も夫の家で飼ってた犬も、名前は「ハチ」だった。

 

ハチ・八・8は、縁起が良いのか?

 

縁起が良い理由は、神道から来ているのか?

 

 

八が良いと思う私は、信仰心が薄くとも神道の信者かな?

 

天照大神を有り難いと思わないが、太陽はありがたいし・・・。