
障害者雇用についての動画で、私のコメントが精神障害者・発達障害の例として取り上げられ、人格否定もされていた。
差別的なコメントが集まるところにコメントしたのは危険だったと思った。
差別は良くないという主張に対しては、偽善と言われている。
私に対しては、6万円のメンバーシップに加入するならコメントしても良いと言われた。
合理的配慮をしてやるからお金を払えということ。
同様に、動画の主が働く工場では、配慮が必要な障害者に対して、手当て金もなく配慮するなんて迷惑だという考えの人が
多いようだ。
動画を見た当事者の一人は、会社等の組織で働くのを諦め個人事業主として働こうとコメントしていた。
身体障害者は良いが精神障害・発達障害とは関わりたくないというコメントが散見され、頑張れる者は良いがそうでない者は邪魔だという意味だなと思った。
感覚過敏があって疲れやすく、休憩が必要な人等は、休憩を設けるという配慮を申し出るのは難しいのかもしれない。
この動画では、怠けととらえられている。
病気のために手先の器用さを損なわれている場合、「使えない」「仕事ができない」ととらえられているようだ。
まあ、とにかく、能力が劣る者は不要だという主張。
大昔、精神障害者はあからさまに「きちがい」と呼ばれ、病院に隔離されていたと聞く。医療が進んで社会復帰が可能になってきたはずだ。
しかし、差別的な人が集う動画を見ると、大昔の意識と変わってないように思う。差別意識を守るべき伝統ととらえている人さえいる。
変わった人、風変わりな人と見るのではなく、発達障害者と見て、排除する傾向もあるようだ。
発達障害の傾向を持つ人が発明した物は多く、アートでは、ムンクやセザンヌのように精神病をかかえた人の作品は多い。
暮らしの中で、知らないうちに精神障害者・発達障害者が作ったものを利用している。恩恵を受けている。
けれども、「人」としては付き合いたくないという人がいるのだな。
動画を見ると、健常者とメンタルに問題をかかえていない身体障害者だけのコミュニティを作りたがっているように見えるが、いざ自分がメンタルの不調に陥ったとき、どうするのだろう?
私のコメントが精神障害者・発達障害として例示されたその動画は、再生回数12000くらいまで公開され、今はメンバーシップ利用者用として引っ込められていて見られなくなっている。