窓から外を眺める

専業主婦のつぶやき 

何でもない会話

買い物から帰ってきたら、団地の入り口で団地の住人が立ち話していた。

 

挨拶をすると、「階段掃除、ありがとう」と言われた。

 

なんと返すか分からず、

 

「いえいえ、どうも」と意味不明な返しをした。

 

夫と一緒だと緊張しないが、一人だとすごく緊張する。

 

立ち話していた人たちは、話好き。わりと気楽に話しかけてくれる。

 

私だったら、「階段掃除ありがとう」だなんて言えず、挨拶を返すだけだろう。

 

対人恐怖症だから、なんでもない会話が大変に思う。

 

若い頃はそんなに人を怖いとは思わなかった。

 

多分、認知に歪みがあるんだと思う。

 

人間関係で嫌なことがあったのは事実だ。意地悪をされたり、大勢の中で吊し上げられたり、悪意のある噂を流されたりしたのは事実だ。

 

それを、「その人は」と限定して受け止めず、「人は」と拡大して受け止めていたから、どんな人にも破壊的で残虐なところがあるに違いないと思ってしまっていたみたい。

 

いじめられた経験が、墨が水を濁らせてしまうみたいに人への見方を歪ませているんだと思う。

 

攻撃性や残虐性の高い人や人を傷つけて喜ぶような人は、ごく一部なんだと分かってはいるが、人を見ると一瞬怖さを思い出してしまう。

 

人の優しさや愛情が見えた時に、そのまま受け止められるようになりたい。

 

どうせ裏があるんでしょ?と疑うのを止めたい。

 

4月のピアノの発表会で、私の演奏は緊張から散々なものだった。

 

ピアノの先生は、私が発表会に出るのを止めるのではないかと心配したそうだ。

 

それを聞いて、生徒として大切に思われていると知った。

 

愛情を受けている。

 

 

近所の人から無視されないのも、隣人愛を受けていると受け止めてよいだろう。

 

無視されること、相手にされないことを挨拶してくれた人に重ねるのは間違いだし、失礼だ。

 

私が孤立したとき、声をかけたくてもできなかった人がいるはずだと思いたい。

 

挨拶をかわしたり何でもない会話ができる今は、とても大切だ。